日本史(原始~弥生)
検定作成者: 宮内健晴日本史探究(旧日本史B)1問目: 更新世時、氷期に日本列島とアジア大陸北東部が陸続きのため、トウヨウゾウやナウマンゾウが渡来した。ナウマンゾウの化石が出現した遺跡として適当なものは?
2問目: 旧石器時代に使用されたのは?
3問目: 相沢忠洋が、関東ローム層中内の石器を発見した遺跡は?
4問目: 更新世時、西日本のバイオームとして適当なものは?
5問目: 縄文土器の特徴として、不適切なものを選べ
6問目: 縄文時代、人々は何を伴い狩りをした?
7問目: 大森貝塚の発掘調査を行ったのは?
8問目: 以下の文章が適切なら〇、不適切なら✕を選択せよ。 縄文人は、自然物・自然現象には魂が宿ると考えていた。これをアニミズムという。人々は、死者を恐れ、遺体の歯を抜く抜歯を行い、棺には遺体を折り曲げ埋葬する、屈葬が行われていた。
9問目: 弥生時代になると、日本でも水稲耕作を基盤とする農耕文化が形成された。弥生時代早期の水田跡として適切なものは?
10問目: 以下の文章が適切なら〇、不適切なら✕を選択せよ。 弥生時代は、土器の変化に基づき、早期・前期・中期・後期の4期に区分されている。
11問目: 弥生時代、稲作が行われていなかった場所を選べ
12問目: 弥生土器の中で、煮炊きに用いられたのは?
13問目: 弥生時代前半、湿田直播での稲刈りに使用した道具は?
14問目: 以下の文章が適切なら〇、不適切なら✕を選べ。 弥生時代の墓は、地域によって違いが見られた。西日本では、楯築墳丘墓や四隅突出型墳丘墓のように、大規模な墳丘が現れた。また、九州北部では、甕棺墓に多量の副葬品が確認されており、こうした墓の形態から、弥生時代には人々の間に身分の差が生じていなかったとされている。
15問目: 高地性集落として適当な遺跡を選べ
16問目: 『漢書』地理志によると、倭人は100余国にわかれ、定期的にAに朝貢していた。Aに入る都市名として適当なものを選べ。
17問目: 『後漢書』東夷伝によると、倭国王帥升等は、生口を安帝に献じた記されている。献じた生口の数は?
18問目: 239年、邪馬台国女王卑弥呼は魏に使者を送った。この時の使者は?
19問目: 18問目の問の出来事が記されているのは、『宋書』倭国伝である
20問目: 「魏志」倭人伝は、『三国志』の『魏書』東夷伝倭人の条のことである。『三国志』の作者は?
21問目: 邪馬台国での、上位身分者の呼称は?
22問目: 漢委奴国王印が発見された、福岡の島は?
23問目: 以下の文章が適切なら〇、不適切なら✕を選べ。 邪馬台国の所在地を巡っては、近畿説と九州説の2つが有力視されている。近畿説は、3C前半には近畿中央部から九州北部までの広域な政治連合が形成されており、後のヤマト政権に繋がると考えられる。九州説は、九州北部のみで形成された小規模な政治連合であり、ヤマト政権は別に東方で形成された後、ヤマト政権が邪馬台国を統合したか、もしくは邪馬台国が東方に力を拡大し、ヤマト政権となったと言うように言われている。
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